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ニュージーランドへ上陸

ニュージーランド

2016年6月中旬

2年間生活したオーストラリアを離れ、

飛行機へ飛び乗り数時間。

ニュージーランドへ向かいました。

メルボルン空港では、

飛行機に乗るまでは

ゆっくりお茶をしながら、

そこで話しかけられた男の子と

すこし話して、

オーストラリアでの思い出に

浸っていました。

ニュージーランドの

ワーキングホリデービザは

自分で申請して取得しました。

時は遡ること2016年2月。

私は日本へ友達の結婚式に

出席するために、

一時帰国していました。

その時はケアンズから

関西国際空港へ飛んだのですが、

*実際は上の画像のように

 19時間30分はかからなかったです

 私が実際に乗った便とは違いますので、

 ご了承ください。

ケアンズで飛行機が

メンテナンスのため遅延。

18時くらいに関西国際空港に着いて

大学の友達と久しぶりに

ご飯へ行くという約束があり、

焦りました。

もちろん、

大遅刻してしまいましたが、

関西国際空港に着いた後に

直ぐに電車に飛び乗り

ご飯を強行、

幸い、お店の店主

(元バイト先の店長)は

待っていてくださり、

おいしいご飯をたらふく

食べさせてもらい、

店主のお友達に

車で送っていただきました。

まさに至れる尽くせり

着いた時間が遅すぎたので、

ゆっくり話すことはできませんでしたが、

その時、その店主は新しい店を

出したばかりだったので、

おいしいご飯に久しぶりの再会もでき

本当に良かったです。

友達宅で寝て、

朝起きてすぐに

ニュージーランドのビザを

オンラインで申請しました。

ネット情報で申請が通るのは

10日前後とあったので、

日本に帰国中に

すべてやってしまいたいという、

願望。

その時は2週間ほどの帰国で、

関西で友達数名に会い、

結婚式にも出席し、

その後実家へ帰宅。

最初のオンライン申請は、

オーストラリアの時ほど

ページ数も多くなく、

必要な情報を入力して

送信するだけでした。

結果は数日で届きました。

ニュージーランドのビザは

申請料無料ととても親切ですが、

日本人は胸部X線写真を大使館へ

提出しなければいけませんでした。

指定の病院(東京)で撮影してもらい、

病院からその写真を大使館へ送ってもらい、

結果を待つという流れでした。

ビザ申請前に、

条件を読んだのですが、

ビザ申請時と取得時は

同じ国にいなければならないと書いてあり、

私の場合、

日本で申請をしたので

出国前に取得しなければいけませんでした。

この2週間、

久しぶりの帰国を楽しんだのですが、

ニュージーランド大使館からのメールが

来ていませんでした。

オーストラリアへ帰国する前日。

まだメールは届かず。

あと1日あるとポジティブに考え就寝。

オーストラリアへ帰国する当日。

まだ来てないの。。。?

と内心ものすごく焦りながら、

実家から新幹線とバスを乗り継いで

成田空港へ。

その道のり、何度もメール受信を試みて、

バスに乗っている時についに来ました!

ビザ取得メール!

これで晴れてニュージーランドへ行けるー!!!

と心の中で叫んでいました。

ビザの取得は、

人によってはとても時間がかかり、

人によっては直ぐおりてしまうという、

ある意味運命のようなものを

感じてしまいますが。。。

予定通り取れてよかったです!

その後、

6月まで旅と仕事をし、

冒頭に戻りますが

ニュージーランドへ出発。

オークランドへ飛びましたが、

市街地へは行かず、

そのままバスを乗り継いで

北島の南にある

ワンガヌイという街へ行きました。

ここにはゆかりがあり、

とにかく最初は

ワンガヌイと決めていたので、

オークランドから

バスに9時間乗って夕方の5時ごろに到着。

そこまでの道のりは、

見渡す限り芝生。

だだっ広い牧場に

人口よりも多い羊が歩き回っていて、

きれいな川がその横を流れている。

まさに映画の世界。

数日前までは

オーストラリアのど真ん中、

砂漠地帯にいたので、

天候も気温も景色も大幅に変わり、

遠くへ来たなと、

率直に思いました。

この日から1年ほど

ニュージーランドでの生活が始まりました。

オーストラリアで旅慣れした分、

無計画で過ごした1年でしたが、

この1年もとても充実した中身の濃い日々でした。

また少しずつ紹介させていただきたいと思います。

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