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メルボルン生活の始まり

オーストラリア

2014年6月19日に日本を発ち、

オーストラリアメルボルンに夜中に到着して

気を失ったように眠った私は、

翌朝の10時にチェックアウトを済ませ、

隣にあるホテルのレストランみたいなところで

オーストラリア初のご飯を食べました。

と言っても、ここはコモンウェルスの国。

朝食はもちろんイングリッシュブレックファーストでした。

スプラングルエッグに

見たことのない色をした煮豆、ベイクドビーンズに

ベーコンにトースト。

煮豆の味は衝撃的でしたが、

これも異文化と思い普通に食べられました。

その後は、エージェントに向かい、

銀行口座開設やタックスファイルナンバー、

携帯などの諸手続きを行い、

夕方にホストファミリーのお家に連れて行ってもらいました。

エージェント経由でお世話になることになった

ホストファミリーは

オーストラリア人のお父さんと

日本人のお母さんがお子さん1人と住んでいるところで、

私以外にももう1人日本人が住んでいました。

日本人がいるので不安はすぐに吹っ飛び、

初日の夜からおいしいご飯を食べさせていただき、

夜までメルボルンでの生活について教えていただきました。

その後、トラムの乗り方や、

トラムのカードの使い方、買い物の仕方などを

もう一人の日本人の人に教えてもらい、

いざ、語学学校へ。

学校はメルボルン市街地にあり、

そこまではトラムを使って40分前後と

距離は少しありましたが、

見るものすべてが初めての景色な私にとっては

全く苦にはならない道のりでした。

渡豪前にインターネットや本で

オーストラリア生活の経験談をよく読んでいて

バスやトラムはしっかり乗りますと手を上げないと

バス停にいても素通りされると書いてあり

時間通りには来ないとあったので

初めてトラムに乗るときは10分ほど前に

バス停に着き、トラムが来たら大きく手を振っていました。

メルボルンでは、トラムは道の真ん中を走っていることが多く

トラムが止まったら

前後の車両は停止しなければいけない

という、ルールがあります

とりあえず

無事にトラムに乗ることができて

安心しましたが、降りそびれないようにと

寝ている余裕はなかった思い出はあります。笑

語学学校1日目は

説明とクラスを決める学力試験。

日本で英語の勉強やラジオを聞いての勉強も

ある程度やっていきましたが、

説明も説明文も書類も何から何まで英語で

頭がパンクしそうでした。

私の学力は

インターミディエイトという中間のクラスで、

教科書を忠実に使うオーストラリア人の女性の先生と

クラスメートは12~13人いました。

日本人は私を入れて3人、

あとはイタリア、タイ、ブラジル、コロンビア、チリ人の子たちで、

年齢は18~30歳くらいと幅広かったです。

今まで聞いてきた英語とは違う訛った英語で

分かりにくいこともあったけど、

それはお互い様。

と何度も思い知らされることがありました。

最初の1週間は

ひたすら話しかけることをしていました。

授業後に多目的ホールに行くと人人人。

他のクラスの人とも出会えたし、

日本人の多さにも驚きました。

あとは、図書館で自主勉。

メルボルンの図書館はとてつもなく広いし、

図書館というか博物館や資料館みたいで

最初はそこで勉強することに

あんまり慣れることができませんでした。

メルボルン空港に着いたときに思ったのですが、

“Welcome to Melbourne”

と英語で書いてある看板と、

中国語で書いてある看板もあり、

そして市街地を歩いているとアジア系の人をよく見かけました。

行くまでは全く知らなかったですが、

メルボルンの多国籍な都市で、

南半球で一番中国人が多いといわれていたそうです。

最初はなんとなくオーストラリアにいる気がしませんでした。

けど、多国籍だからこそ、

街の中に、イタリア人街、ギリシャ人街、中華街などなど

1つの街にいるのにいろんな国に行った気になれ、

語学学校だけではなく、

街中でも友達の紹介でも

いろんな国の人に出会えることができました。

このことこそが

私が海外生活にはまってしまった1つの要因(原因?)だと思います。

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