2016年7月28日@ワイヘケ島
昨日はとても長い道のりを経て
ロッジへたどり着き、
疲れ切った体をしっかり休めました。
さて、今日はどうしたものかと、
朝、みんなで話し合いました。
なぜかと言うと、昨日までは、
ワイナリーに
行ってみたい
と言っていたのですが、
今日はあいにくの雨。
しかも土砂降り。
天気予報を確認しましたが、
あまりよくなりそうにないとのことでした。
チェックアウトするかどうかも
ぎりぎりまでみんなで話し合って、
結局チェックアウトをして、
ワイナリーは諦めて
オークランドへ戻ることに決めました。
アメリカ人を始め、みんな残念そうでしたが、
冬のニュージーランドは
天気が悪くなりやすいとまた痛感しました。
チェックアウトはしたものの、
その時ものすごく雨が降っていたので、
雨が少しおさまるまで
ロッジのロビーにいさせてもらうことに。
なかなか雨がおさまらなかったので、
なんだかんだで
2時間ほど滞在させていただいちゃいました。。。
ありがとうございました!😊
今日はこんな天気だから、
歩いてフェリー乗り場まで行くのは
大変だろうと思い、
バスをチェックしていました。
チェックアウトしてから2時間後、
雨も少し落ち着いてきたのでロッジを出て、
坂の上にあるバス停を目指しました。
雨の中の移動なので、
なんとなく気持ちも落ちながら歩いていて、
大通りが見えてきたときにバス発見。
これを逃したら
次がいつか分からないということで、
アメリカ人が
猛ダッシュでバスを止めてくれて、
少し遅れてしまったが、無事に乗車。
あーよかった
と言って椅子に座りました。
バスの中は私たちだけではなく、
地元のおじいさんもいました。
珍しいと思ったのか、
そのおじいさんが話しかけてきてくれて、
みんなで終着地の
フェリー乗り場まで喋っていました。
フェリー乗り場へ着き、バスの運転手さんに
ありがとうございました
と言って、下車して、
フェリーを待っていました。
さて、またここから船酔いとの戦いが
始まるのかと思い出してしまい、
ちょっと気持ちが落ちましたが、
また寝てようと切り替えました。
フェリーに乗り、
上からの景色を見たかったのか、
3人は上へ行ってしまいました。
私は、一人ひっそりと下の階で席に座り、
荷物を抱えながら寝ようと思っていたら、
さっきのおじいさんが
近づいてきてまた話し始めました。
そのおじいさんは、
昔の自分の旅のことやガムトゥリーや
ワラビーはオーストラリアから来たんだよ
というローカル話までいろいろと話してくれました。
そのおじいさんとの話が面白くて、
気付いたらもう
オークランドへ着いていました。
なんかあったら
連絡ちょうだいね
っと連絡先をくれて
颯爽とフェリーから降りていきました。
人によっては、ただバスで会っただけの人に
たくさん話したからって
連絡先は渡さないと思います。
その人がどんな人かわからないからです。
ただ、海外に来てから、
なんかあったら連絡してと言って
連絡先をいただくことは何度かあり、
これがニュージーランドや
オーストラリアの国民性なのかなと思い、
ほっこりしました。
こういうことがあるたびに、
いつか私も日本にいる時に
困っている外国人がいたら積極的に
なにかできることをしようと
心の中で言いました。
そして、私もフェリーを降りて、
3人と合流し、
まずはホステルへ向かいました。
ワイヘケ島遠征では
あまりたくさんのことはできませんでしたが、
それでもいい時間を過ごせました。
実は、今日、
ドイツ人と中国人の子が2人で旅するために
北へ向かいます。
バスもカウチサーフィンも予約しているらしく、
今回が本当に最後の日。
ホステルまでの道のりで、
もう行っちゃうんだねー
と話しながら、
私たち2人はチェックインをして、
みんなで荷物を置き、
そこから最後の晩餐へ。
このオークランド滞在中に
よく行っていたフードコートがありました。
そこには、インド、シンガポール、
中国、韓国、日本などなど
各国のご飯があったので、
みんな食べたいところで買って
一緒に座って食べていました。
なので、最後の晩餐もここに決定。
各々食べたいものを買って、
同じテーブルで食べました。
20日間、あっという間だったねという
話からこれからどうするのという話まで、
時間は限られていましたが、
ゆっくり食べながら改めて話ができました。
食べ終わった後、またホステルへ戻り、
2人は荷物を持ってバス乗り場へ。
アメリカ人と2人で見送りに行き、
ついに2人はさらに北へと向かって旅立ちました。
今まで、
本当にたくさんの人とお別れをしてきましたが、
私が必ずしていることがあります。
それは、Goodbyeとは言わずに、
See you later/また後でねと
必ず言うようにしています。
それはみんなそうだからと言うのもありますが、
今回でさよならじゃないよ、
またいつか会おうねという
自分なりの相手への決意表明でもあり、
自分へのこれが最後じゃないから
悲しまなくてもいいよという暗示でもありました。
メルボルンにいた時、
語学学校では入れ替わりが激しいのもあり、
毎週末がお別れ会でした。
メルボルンに着いて最初の方は、
友達ができた嬉しさから
別れの時は毎回泣いていました。
それは、これで最後になるかもしれない
とネガティブに考えていたからだと思います。
そう泣いていると、みんな必ず、
It’s not goodbye Madoka,
See you later
とよく言ってくれました。
この言葉たちにとても勇気づけられたので、
自分でも必ず言うようにしています。
今までも、もちろんこれからも。
今度は本当に2人かーと思いながらも、
アメリカ人も30日に
アメリカへ帰国してしまうので
この旅も本当に終盤になってきたんだなと
しみじみ思いました。
ヒッチハイク旅ワイヘケ島編
完
コメント