2014年6月下旬から9月上旬@メルボルン
メルボルンに着いてから
語学学校へ通っていた私ですが、
3か月間(12週間)のみの通学でした。
ちなみに、
当時、ワーキングホリデーで
渡豪した場合は、
語学学校での就学期間は
最大6か月でした。
語学学校は
エージェントを通して決めました。
最初はどこがいいのか
わからなかったので、
エージェントが紹介してくれて
本当に良かったです。
私の行っていた語学学校は、
メルボルンの中心地にあり、
とても便のいいところでした。
見た目は会社が入ってそうな
オフィスでしたが、
入ったら温かみのある教室やラウンジ。
授業は
朝の8時半から14時半までで、
月曜から木曜日までの週4日。
金曜日は自由参加型の授業で
昼には終わっていました。
基本的には学校で座学でしたが、
たまに外へ出てイベントへ参加したりしました。
この時は、
メルボルン市庁舎へ行ったとき。
中も開放されていたので、
普段あまり見れないようなものも
見ることができました!
金曜日はクラスも関係なく、
他のクラスの人とも同じ授業を受けられるので
ある意味楽しみな曜日でした。
クラスは以前紹介したように
10人前後で、
毎週月曜日はクラス替えテストがあり、
語学学校内では
“English only”=母国語禁止
という決まりのある学校で、
直ぐに気を緩めてしまう
私にとっては、とてもいい学校でした。
最初のインターミディエイトのクラスの時は、
まず耳が慣れないので
言っていることも、なんとなくわかるけど
答えがすんなり出てこないとか、
当たり前ですが
書いてあるものすべてが英語なので、
読むだけで頭が痛くなっていました。
そして、
慣れない英語を話していたので、
顔の筋肉痛がひどかったです。笑
最初はあまり慣れなくて、
友達ともあまり話せず、
大変だなーっと思っていましたが、
友達ができたらこっちのもの!
ただ、英語で話しかけてみて、
答えがもらえるという
ごく普通なことに、
一回一回喜びを感じていました。
ホームステイでお世話になっていた時は、
夕飯に間に合うように、
少しお手伝いできるように帰宅し、
食事中には
ホストファーザーが英語で
今日はどうだった?
と、質問してくれるので、それに答える。
あの時は、
毎日、帰りのトラムで
今日はどんなことを話そうとか
考えながら帰っていました。
夕飯時に発表するのが大変だったけど、
今となってみたら
最初から本当にいい環境で
過ごさせてもらっていたんだなと思います。
聞き取れなかったら隣で、
教えてもらっていましたし、
ホストマザーには
たくさんの悩み事をして、
本当に親身に1つ1つ答えてくれました。
2か月間
インターミディエイトという
中間のクラスにいて、
最後の1か月間は
アッパーインターミディエイトという
1つ上のクラスに上がることができました。
2か月も経つと
だいぶ会話が成り立つようになり、
授業でも率先して
前に出て発言ができるようになりました。
この2か月でも
クラスのメンバーは
ころころ変わってしまいましたが、
みんな卒業しても、
メルボルンにさえいれば
よく会っていました。
アッパーインターミディエイト
(以後、アッパーと言います)
に上がってから、最初の授業の時
教室も変わり、
人数も15人以上に増え、
最初はみんなが言っていることを
ひたすら真剣に聞いているだけでした。
なんと言っても、
授業が全く違いました。
インターミディエイトの時は、
先生が教科書にとても忠実でした。
私も、学生時代はそういう授業が
多かったので、
やり慣れた勉強方法というか、
とても集中できました。
南米の子たちは
つまらない
ってよく言っていたなあ。。。
もちろん、
授業の最後にミニゲームを入れて
最後は楽しく終わっていましたが、
アッパーでは逆に
あまり教科書を使いませんでした。
授業は基本的に参加型で、
先生はオーストラリア人の男性でしたが、
毎回授業が始まったら
プリントを配布して、
先生が生徒を指名して答えてたり、
英文を読んだり。
時々、ラジオを付けて、
今なんて言った?という
リスニング問題もありました。
あまりにも違う授業方法と、
指名される恐怖感で
最初は正直戸惑いましたが、
クラスメイトがよく助けてくれました。
最後には、
テストでクラス内で1位を取れたり、
授業にも積極的に
参加できるようになったりと
語学学校での勉強が楽しすぎて、
3か月があっという間で
終わってしまいました。
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